聖フィル第20回定期演奏会を聴きに来てくださった皆さま、どうもありがとうございました。福川伸陽先生のホルン協奏曲のソロ、素晴らしかったですね。ホルンは難しい楽器の代名詞のはずなのに、彼があまりにも安々と演奏するので、まるでホルンじゃないみたいでした。

《巨人》の最後で立ち上がったホルン奏者(マーラーの指示)の中に先生がいらっしゃるのを見て、皆さま驚かれたことでしょう。ご一緒に演奏できたのは、得難い経験でした。聖フィル♡コラム時代から続くアンコール・シリーズ、今回は福川先生が無伴奏でダイジェスト版を演奏された、リヒャルト・シュトラウスの《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》について。

この長いタイトルの作品は、リヒャルトが7曲作った交響詩のうちの4作目。14世紀初めに農民の息子として北ドイツのブラウンシュバイクに生まれ、1350年にリューベック南のメルンで亡くなったと伝えられるティルの、様々ないたずらが音楽で描かれます1

ゆっくりした冒頭のメロディーは、昔話を始める決まり文句「むかしむかしあるところに」。続くホルンの加速するソロは「いたずら好きな道化がおりまして、その名をティル・オイレンシュピーゲルと申します」という口上。その後のクラリネットの転がるようなソロはティルの2つ目の主題で、「それはとびきりのいたずら者でありました」というような意味。

リヒャルトは、ペストで死んだと伝えられるティルの最期を変更。逮捕され、不敬罪で絞首刑になったティルの息が体から抜け、最後に痙攣が走る様子を描きます。エピローグで戻る冒頭の音楽は、「おしまい」の意味。同じ音楽で「むかしむかし」と「おしまい」を表す手法は、メンデルスゾーンの《夏の夜の夢》序曲や、リムスキー=コルサコフの交響組曲《シェエラザード》などでも使われています。

リヒャルトは初め、ティルでオペラを作るつもりでした。「意地悪で偏屈な街のお偉方をやりこめる」「危険を顧みず不正を暴く果敢な男」が主人公2。タイトルは『まぬけのティル・オイレンシュピーゲル Till Eulenspiegel bei den Schildbürgern』。しかし、この一幕もののオペラの台本まで用意してから、計画を破棄。管弦楽だけで表現することに。

オイレンシュピーゲルのオイレンは、ドイツ語で知を象徴する「ふくろう」の意味。一方のシュピーゲルは「鏡」。おそらく「化身を体言する鏡」を意味するのでしょう3。1894年から翌年にかけての冬(30歳)に作曲、95年5月6日ミュンヘンで完成、同年11月5日にケルンで初演されました。

4管編成の華やかで楽しい音楽の大筋をホルン1つで演奏するなど、想像もしませんでした。重音奏法も使いながら(管楽器で複数の音を同時に出せるなんて、不思議ですね。私もCDでは聞いたことがありますが、生は初めてでした)、あざやかに吹いてくださった福川先生。ありがとうございました! とてもゴージャスで、この曲実はオーケストラ不要だった、などと考えてしまいました。

お断り:しばらくの間、オケ奏者のコラム更新は月1回程度にさせていただきます。

  1. ノーマン・デル・マー『リヒャルト・シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》作品28、ミニチュア・スコア解説』、全音楽譜出版社、2006年、iiiページ。
  2. 上掲書、ivページ。
  3. 上掲書、iiiページ。

4月の第20回定期演奏会のプログラムは、リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲とグスタフ・マーラーの交響曲。ふたりとも聖フィルで初めて取り上げる作曲家で、両方とも難曲。意外な転調など、先を予想しにくいのです。調性があいまいになった「世紀末」に活躍した作曲家ならではです。

このふたり、同年代。マーラーは1860年、リヒャルト・シュトラウス(以下リヒャルト。シュトラウスと書くと、ウィンナ・ワルツのヨハン・シュトラウス父子をイメージすると思うので)は1864年生まれ。また、ふたりともドイツ語圏の生まれ(マーラーはオーストリア、リヒャルトはドイツ)です。

そして、ふたりとも指揮者、特にオペラの指揮者として活躍しました。指揮者にとって世界1のポジションとも言えるウィーン国立歌劇場の指揮者を、マーラーは1897年から1907年まで(この時代はまだウィーン宮廷歌劇場でしたが)、リヒャルトは1919年から24年まで務めています。

生年は近いのですが、没年はかなり違います。マーラーは敗血症のため、1911年に働き盛りの50歳で亡くなりました。一方、リヒャルトが心不全で死去したのは1949年。85歳でした。マーラーの死後リヒャルトが生きた35年間は、2つの世界大戦により、世界が大きく揺れ動いた時期です。

マーラーは、両親ともにユダヤ人でした。1897年にローマ・カトリックに改宗しますが、ユダヤの出自は彼の人生に(死後も)大きな影響を与えます。一方のリヒャルトは、一人息子フランツの結婚相手アリスがユダヤ人(これも、リヒャルトの人生に影響を与えます)ですが、本人はドイツ人です。

作曲家としての活動内容も異なります。マーラーは主に交響曲とオーケストラ伴奏付き歌曲を作曲。オペラをいくつか手がけたものの、いずれも完成しませんでした。一方のリヒャルトは、1900年までは主に交響詩、それ以降はオペラを多数作曲。アルプス交響曲などの交響曲や、2つのホルン協奏曲のようなコンチェルトなどもあります。

リヒャルトは、18歳で作曲した《13管楽器のためのセレナード作品7》がハンス・フォン・ビューローに高く評価されました。その後も(交響詩《マクベス》のような例外もありますが)、ほぼ順調。一方マーラーは、交響曲8番の初演(1910年)がようやく大成功しましたが、それまでの7つの交響曲は(様々な版で初演されたものの)成功とは言えませんでした(期待はずれ、あるいは「聴衆を当惑させた」など)。

互いに知り合いで、行き来もあったマーラーとリヒャルト・シュトラウス。前者はその出自と早すぎた死も影響し、音楽が理解され演奏されるようになるまでに長い時間を要します。後者はナチスとの関係や遅すぎた(!?!)死などにより、晩年の作品は時代遅れとみなされました。

19世紀末の爛熟した文化の面影を残すふたりの巨匠の、交響曲第1番(第3稿1896年)と、懐古的なホルン協奏曲第2番(1842年)。今回の聖フィルのプログラム、音楽史的に深〜いプログラムになっています。

コラム更新が遅れてごめんなさい。今日の1曲をチェックした方はご存知ですが、2月6日から資料調査((271) コラム番外編:ヴァティカン図書館で調査してきた!!参照)で、ドイツのドレスデンに来ています。ドレスデンといえば州立歌劇場ゼンパーオーパー。ザクセン王国の宮廷歌劇場として、ゴットフリート・ゼンパー(1803〜79)の設計で建築されたので、こう呼ばれます。

雪が残るゼンパーオーパー(クリックで拡大)

1838年ザクセン王ヨハンの建設依頼を受け、41年に開幕。1869年、ガス管修理の火災でほぼ全焼。7年の立て直し工事の後、1878年に第2次ゼンパーオーパーが開幕。第2次世界大戦中に空襲で焼け落ちましたが、1977年から復興工事が始まり、1985年に再開。

1817〜26年にはカール・マリア・フォン・ヴェーバー、1843〜49年にはリヒャルト・ヴァーグナーが音楽監督を務めています。世界初演はヴァーグナーの《リエンツィ》《さまよえるオランダ人》《タンホイザー》、リヒャルト・シュトラウスの《サロメ》《エレクトラ》《薔薇の騎士》などなど。

平土間の前から4列目ほぼ中央席(€85)でレハールの《メリー・ウィドウ》、3階の中央1列目(€99)でモーツァルトの《フィガロの結婚》を見ました。音が良いとは聞いていたのですが、すぐそこのオーケストラ・ピットから聴こえる音が柔らかくまとまっていて、シュターツカペレ・ドレスデンのアンサンブル、さすが!!!

3階より

3階席からはピットの奥が丸見え。フィガロでは他の木管に比べてクラリネット暇そう!とか、ホルンここで使うのか!などと楽しめました。テンポはいずれも速め。幕間は1回だけで、トントン進む感じ。《メリー・ウィドウ》は具象(未亡人はヘリコプターで登場)、《フィガロ》が抽象寄りの演出でした。

ガイド・ツアーによると、ホール内の淡い色合いはゼンパーの趣味。2階以上のボックスを取り除いて、見安くしてありました。椅子が大きめ。しかも、隣との間がちょっと広い。定刻前にチューニングして、ほぼ定刻に公演が始まるのも、新鮮。フレンチ・カンカンの踊り子たちが迫力満点だったので、急遽バレエ《カルメン》のチケットを購入。ゼンパーオペラ、すっかりファンになりました。

天井棧敷から見下ろす。ボックスではなく柱のみ