前回、《パッソ・メッゾ》は酔った歩みではない!! と書きながら((2) ウィキペディア・ジョーク?!?  レスピーギの《パッソ・メッゾ》参照)、レスピーギの《リュートのための古風な舞曲とアリア》が器楽史の教科書の最初の部分どおりであることに気づきました。第1組曲は以下の4曲から成ります。

  1. 《オルランド伯爵のバッレット》
  2. ガリアルダ
  3. ヴィラネッラ
  4. パッソ・メッゾとマスケラーダ

第1曲の元曲は、ジェノヴァの作曲家&リュート奏者シモーネ・モリナーロ(1565〜1615)が、1599年にヴェネツィアで出版した『リュートのためのインタヴォラトゥーラ第1巻』に収めた《オルランド伯爵のバッレット》。インタヴォラトゥーラとは、声楽曲を器楽曲用に編曲することです。バッレットは小さな舞曲ですね(アレグロ→アレグレットのように、バッロ→バッレットで小舞曲の意)。

第2曲の元曲は、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイの父で、フィレンツェの「カメラータ」((28) バロック時代はなぜ1750年までか?参照)のメンバーであったヴィンツェンツォ・ガリレイ(c.1520〜91)が1550年代に作った舞曲ガリアルダ。第3曲は作者不詳の16世紀末のヴィラネッラ。ヴィラネッラは、16世紀半ばころにナポリで始まった、素朴で軽い性格のイタリアの世俗歌曲です。

第4曲はやはり作者不詳の16世紀末の2種類の舞曲。後半のマスケラーダは、16世紀フィレンツェで流行した、マスケラ(仮面)や衣装をつけて(しばしばパントマイムを伴って)踊る、パレードやカーニバルのダンスでした。つまりレスピーギのタイトルは、16世紀という古い時代の、リュートで演奏する歌曲(第3曲)と舞曲(第1、2、4曲)ということですね。

楽器は古くから使われて来ましたが、音楽=声楽の時代が長く続きます。器楽が発展し楽譜資料が残るようになるのは、楽譜出版が始まった16世紀((183) ペトルッチありがとう!参照)。声楽の出版楽譜に「これは声にも楽器にも適する」と書かれたものがあるように、声楽曲が楽器で演奏されたのです。また、上記のインタヴォラトゥーラのように、楽器の特性に合わせて編曲されることも。撥弦楽器のリュートは声のように音を持続できませんから、細かい装飾音やアルペジオが多用されました。

声楽曲と直接関係が無い器楽形式として大切なのは、舞曲。ルネサンス時代は様々な舞曲が作られ、出版されました。私が音楽史の教科書として使っているものの1冊には、「パヴァーヌとガリアルド、パッサメッゾとサルタレッロのようにテンポの遅い舞曲と速い舞曲、2拍子型のものと3拍子型のものを組にした形も数多い」と書かれています1

レスピーギの第1組曲第2曲ガリアルダは、速い3拍子で跳ね足ステップが含まれる舞曲。1つ目の動画を参考にしてください2。一方、パッソ・メッゾは2拍子のゆっくりしたダンス。動画は、前回あげた2種類のうちのパッサメッゾ・アンティコで、グリーンスリーヴスと同じ和声進行をしています。リュートの演奏も見えます3。この時代、用語はまだ統一されておらず、女性名詞形のガリアルダやパッサと、男性名詞形のガリアルドやパッソが混在していました。

  1. 片桐功他『初めての音楽史決定版』音楽之友社、2018、50ページ。
  2. https://www.youtube.com/watch?v=A7AzGhMV1T8
  3. https://www.youtube.com/watch?v=ivvx_4NWpfo。上記のようにしばしばペアにされたサルタレッロは、3拍子系の急速なダンス。メンデルスゾーンが交響曲第4番の終楽章に使いました。(258) サルタレッロってどんな音楽?参照。

話は、レスピーギの《リュートのための古風な舞曲とアリア第1組曲》を取り上げた、第18回聖フィル演奏会前に遡ります。ボウイングを書き写すために借りた楽譜の終曲《Passo mezzo e Mascherada》に、「酔った歩みと仮面舞踏会」と書かれていました。Mascherada には確かに、仮面舞踏会という意味があります。第4曲後半、vivacissimo 以降。でも「酔った歩み」って何?

謎が解けたのは、チラシとプログラムに載せるための、日本語と原語の正式な曲目表記を調べたとき。一応チェックした Wikipedia 日本語版が「酔った歩み」の出処でした。やっぱり〜〜!!1「西洋音楽関連の日本語版 Wiki は間違いが多いので、英語版や独語版を参照すること」は、音楽学関係者の共通認識。学生たちにも口を酸っぱくして注意するのですが。

それにしても、驚くべき日本語訳「酔った歩み」は、いったいどこから来たのでしょう?!? パッソ・メッゾ passo mezzo の passo は英語の step ですから「歩み」は正しい。一方の mezzo は、メゾフォルテやメゾソプラノのメッゾ。英語の half です。「酔った」は、どこにもありません。

だいたい、第4曲前半の音楽自体、「酔った歩み」とは程遠いもの。4分の2拍子で、2分音符がずーんずーんと重く響く舞曲。酔っぱらいの千鳥足のような不規則さ、あるいはおどけた感じはどこにもありません。Wiki 日本語版のミスは、単純な訳し間違いや重要な情報の取りこぼしなど、理由が推測できることもありますが、「酔った歩み」はいくら調べても由来(??!)がわかりませんでした。まさにジョーク!?!

パッソ・メッゾ(1語でパッソメッゾ、パッサメッゾ、あるいは and を意味する e を入れたパッソ・エ・メッゾなど、多くの異形があります。英語版や伊語版 Wiki では、passamezzo  の形で出ていますので、これ以降はパッサメッゾと書きます)は、16〜17世紀初めのイタリアの民俗舞踏。直訳すると「1歩半」を意味する名前の由来はわかりませんが、踊りのステップが関係しているのでしょう。

パッサメッゾの舞曲は和音進行が決まっています。ヨーロッパで広く使われたパッサメッゾ・アンティコ(古いパッサメッゾ)は、I – VII – I – V、III – VII – I-V – I。グリーンスリーヴスがこの定型の例です。一方、レスピーギの終曲に使われたのは、パッサメッゾ・モデルノ(モダンなパッサメッゾ)。パッサメッゾ・アンティコの短調バージョンで、I – IV – I – V が和声定型。レスピーギ終曲冒頭のハーモニーです2

というわけで、第4曲は《パッソ・メッゾとマスケラーダ》。絶対に「酔った歩み」ではありません。いつ頃からこの訳が出ていたのか知りませんが、真に受けて「酔った歩みと仮面舞踏会」というタイトルで演奏しちゃった団体が無いように祈ります。でも、真に受けますよね、普通……。困ったものです。 Wikipedia 日本語版に限らず、署名の無いネット情報にはくれぐれもご用心! この第1組曲については、次回に続きます。

  1. このコラムをアップする時点でもその記述があります。
  2. ニ長調で d-fis-a、g-h-d、d-fis-a、a-cis-e の和音がほぼ4小節ずつ。

5月に聖フィルの弦分奏をご指導いただいたときに對馬哲男先生が言っておられたように、シューマンはかなり変わった人でした。彼の交響曲(このうち、第4番ニ短調を次回9月の聖フィル定演で取り上げます)の作曲経緯からも「変」なところが伺えます。

シューマンは特定のジャンルの作品を固めて作曲しました。最初ピアニストを目指したので、作品23までの出版作品はすべてピアノ独奏曲。ピアノの恩師ヴィーク自慢の娘、クララとの結婚が叶った1840年は、120曲以上の歌曲が生まれた「歌の年」。翌1841年に入っても歌曲の作曲が続きますが、1月23日以降「オーケストラの年」に1

アドルフ・ベットガー(1815〜70)の「春の詩 Frühlingsgedicht」最終行「谷間には春が燃え立っている」にインスピレーションを得て、交響曲《春》のスケッチ開始。翌24日にアダージョ(第2楽章)とスケルツォ(第3楽章)が完成、25日に最終楽章に取り組みます。

日記を兼ねた「家計簿」に「交響曲への燃える思い、眠れぬ夜」と書き込んでいるように、おそらくほとんど寝ないで作曲を続けたのでしょう。26日には「万歳! 交響曲が完成した!」の記述。ピアノ譜の形のスケッチとはいえ、交響曲全体を4日で仕上げるなんて有り得ない!! シューマンってやっぱり「変」!!

オーケストレーションは2月21日に完成し、3月6日には友人メンデルスゾーンの意見を聞きに行きます(何しろシューマン、オーケストラ曲は初めてですから)。そして同月31日に、そのメンデルスゾーンが指揮する、ゲヴァントハウス管弦楽団により初演。大成功を収めました。彼が保管していた初版譜に添えられた記録によると、59回も演奏されたそうです2

「オーケストラの年」は続きます。4月12日に次のオーケストラ作品(《序曲、スケルツォとフィナーレ》作品52の原形)、5月20日にピアノとオーケストラのための《幻想曲》イ短調を作曲(後に、ピアノ協奏曲作品54の第1楽章に)。5月29日にはニ短調交響曲にとりかかり、6月末にスケッチ終了。9月には別のハ短調交響曲にも取り組みますが、結局これは未完に3。10月4日にニ短調交響曲の推敲を終え、12月6日にゲヴァントハウス管弦楽団により初演。でも残念ながら受けは良くありませんでした。この曲はお蔵入りに。

しまい込んでいた旧作を思い出した(??)のは、ちょうど10年後の1851年。12月12日から19日まで改訂し(第1楽章冒頭のアウフタクトも、変更のひとつです)、53年12月30日にシューマン自身の指揮で初演、同年出版されました。ただ、45年12月にスケッチを始めたハ長調交響曲が第2番、デュッセルドルフ市の音楽監督になった1850年に作られた交響曲《ライン》(聖フィル♥コラム (154) ラインと循環形式 (1)(155) 同 (2) 参照)が第3番としてすでに出版されていましたから、2番目に作曲されたニ短調交響曲は第4番に。

ちなみに1840年「歌の年」、41年「オーケストラの年」の続きは? 1842年は「室内楽の年」(ピアノ5重奏曲など)、43年は「オラトリオの年」(《楽園とペーリ》)、44〜45年は対位法を研究した「フーガの年」です。シューマンって、やっぱり「変」ですね。

  1.  2人の「家計簿Haushaltbuch」の記録によると、1月2日から21日までハ長調の交響曲に取り組んでいましたが、この曲に関しては研究者の意見が一致していません。藤本一子『シューマン』音楽之友社、2008、72ページ。
  2. 前掲書、170ページ。
  3. 第3楽章が、後にピアノ曲作品99に流用されました。

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201011月から聖光学院管弦楽団(通称:聖フィル)ホームページに聖フィル♥コラムを連載していたパレストリーナです(プロフィール参照)。2016年末までに300本のコラム(聖フィル♥コラム総目次参照)をアップした後、しばらくお休みしていました(お休み中も、毎日多くの方が様々なコラムを読んでくださっています。どうもありがとうございます!)。

この度、「パレストリーナの音楽コラム♥オケ奏者の部屋(通称:オケ部屋)」を新設。聖フィル♥コラムの姉妹編として、聖フィルの定期演奏会のプログラムに関する解説を中心に、他のアマチュア・オーケストラの方のお役にも立ちそうな「知ってて得する(?)音楽の基礎」、クラシック音楽をよく聴かれる方はもちろん、「クラシックは好きだけれど、実はあまりよく知らない」という方にも興味をもっていただけそうな「クラシックよもやま話」を紹介していきます。「今日の1曲」は、その日聴いた音楽のひとつを、日記代わりに記録する試みです。

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