演奏会用序曲《フィンガルの洞窟》やホ短調のヴァイオリン協奏曲で有名なメンデルスゾーンのファースト・ネームはフェーリクス Felix、ラスト・ネームはメンデルスゾーン Mendelssohn。

本当でしょうか? メンデルスゾーンの楽譜をお持ちの方、もう一度確認してください。表紙には Mendelssohn とありますね。でも、楽譜のオープニングに印刷された作曲者名は、輸入版国内版いずれでも Felix Mendelssohn Bartholdy であるはず。そう、メンデルスゾーンのラスト・ネームは、メンデルスゾーン・バルトルディです。

名字が2つ並ぶのは、宗教と関係があります。フェーリクスの父アブラハム(著名な哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの息子で、裕福な銀行家)と母レアは、ユダヤ系。でも彼らは1816年3月21日に、4人の子どもたちにルター派プロテスタントの洗礼を受けさせます。

1822年には両親も、プロテスタントに改宗。このとき、既にキリスト教徒に改宗し、バルトルディを名字にしていたレアの弟ヤコブ・ザロモンに勧められ、他のメンデルスゾーン家と区別するために、メンデルスゾーン・バルトルディを名字に。一目でユダヤ系とわかる「メンデルスゾーン」に、よりコスモポリタンな「バルトルディ」も合わせた二重姓にして、キリスト教徒であるとアピールしたのでしょう。

その後の活躍は、皆さまもご存知の通り。20歳のとき、当時ほとんど忘れ去られていたヨハン・ゼバスティアン・バッハの《マタイ受難曲》を復活演奏。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者、ライプツィヒ音楽院の実質的な院長など、ドイツ音楽界の第一人者として活躍。38歳での急死は、国際的に惜しまれました。

評価は、没後に変化します。メンデルスゾーンの音楽には、リストやヴァーグナーのような革新的な要素が少なかったのは事実。しかし、彼の名声が決定的に損なわれたのは、19世紀後半、反ユダヤ主義が台頭したため。20世紀にナチスが政権を掌握すると、メンデルスゾーンの音楽は禁止され、ライプツィヒ音楽院前に建てられた彼の銅像は、撤去され破壊されました。ルター派プロテスタント音楽の至宝とも言うべきバッハの《マタイ受難曲》復興したにもかかわらず。

……というようなことを西洋音楽史で講義していたのですが、実は私がメンデルスゾーンの名字を強く意識したのは、昨年ベルリンで地下鉄に乗ったときでした。「メンデルスゾーン・バルトルディ公園 Mendelssohn-Bartholdy-Park」駅があったのです(図1)。路線図を見ても、ひときわ長い駅名です。公園の名前も駅の名前も、「メンデルスゾーン公園(駅)」で十分なのでは?

図1:メンデルスゾーン・バルトルディ公園駅

いいえ、それでは不十分。フェーリクス・メンデルスゾーン一家はキリスト教に改宗し、それを示すバルトルディを名前に加えたのです。たとえナチスにとって、それが何の意味を持たなかったとしても。

チラシやプログラムの日本語表記は、通常使われる「メンデルスゾーン」で十分。でも、英語表記は、彼らの意志を尊重し意図を理解して、「 Mendelssohn Bartholdy」を使いたいものです。

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